大橋直久「琵琶湖疏水(京都市、滋賀県大津市)」

大型プロジェクトの遺構等を対象とするものがある。

平安京以来1000年の首都であった京都は、明治の東京遷都で次第にさびれ始めた。

京都再活性化のために展開された壮大なプロジェクトが「琵琶湖疏水」の建設である。

京都市内と琵琶湖の湖面の標高差が約40メートルあることに着目。

これを利用して大津市三保ヶ関から、京都東山までの水路を開くことを考え、その水路を多方面に利用して京都の活性化をはかろうとしたものである。

即ち運河としての舟運、水力発電上水道水源、かんがい用水さらには東山一帯の多くの庭園への配水等まで考えた、総合プロジェクトである。

水力発電はわが国最初の水力発電所蹴上発電所をはじめ、夷川、墨染に設けられた。

この電力によってこれも日本初の市内電車を運行、工場の動力、家庭への配電等幅広く活用された。

浄水場も山科、蹴上、松ヶ崎につくられ、今も京都旧市内の大半の給水を賄っている。

この大プロジェクトは多くの産業遺産、遺構を残した。

急勾配を船台車によって舟を上下させるインクライン、レンガづくりの水路橋(南禅寺水路閣)、発電所遺構、運河の遺構等々枚挙にいとまがない。

これまでにも哲学の道(疏水分線)、水路閣等部分的には観光資源として活用されはじめていた。

大橋直久〜就活生・新社会人のためのマナー講座